ショー車製造番号 

Serial number of Michaux velocipede.

An inquiry on Michaux serial number was presented for the first time last year at the Conference (Tampere, Finland). This part II try to develop this research with new machines discovered since last year.
We are now sure that the number on serpentine Michaux is not serial but only the front wheel’s height. Michaux serpentine frame is made by a foundry of Creil (north of Paris): “Le Brun et Levêque”.
I will try to cross the number on machines and the one discovered in Michaux papers of Olivier brothers. It should be very interesting if we can determine the production date of each machine following his number. We now know that Michaux et Cie has two forms of plate, oval and square. Could we find some relation between the serial number and the form of plate?

小林恵三 Keizo Kobayashi

 ミショー車は前輪にペダルがついているモデルの総称であるが、前期の俗にいうラルマンタイプと後期のフレームが直線形の2つに大別できる。 

俗にいうラルマンタイプ。ラルマンは1866年11月にUSAの特許を取得しているが、そのモデルは蛇形のフレームを後輪の軸からでている2本の支柱で支えている。
フレームが直線形で後輪に直結しているモデル。前期の俗にいうラルマンタイプから直線形のフレームになったのは、主に軽量化のためで、1868年の夏頃と言われている。

製造番号と思われる番号は、前期の俗にいうラルマンタイプのモデルと後期の直線形のフレームのモデルでは必ずしも同じ場所に刻印されていない。前期のタイプでは、以下の5ケ所に数字が刻印されている(写真1)。

スネーク形のフレーム後部側面で、後輪軸のちょうど上にあたり、サドルを支えるスプリングの後部支点の真下
サドルを支えるスプリングの後部支点の後方
サドルを支えるスプリングの後部支点の内側
フォーククラウンの内側
スネーク形のフレーム後部内側で、後輪軸から出ている2本の支柱の内の後側の支柱との接点部
         
写真1. 数字が刻印されている5ケ所。モデルは、 仏国立技術博物館所蔵のラルマンタイプ。

 後期直線形フレームのモデルでは、以下の6ケ所に数字が刻印されている(写真2)

直線形フレームの下部で、前フォークに最も近い部分(写真5)
フォーククラウンの内側(写真3)
フォーククラウンの上部(写真4)
前輪エンドの外側
サドルを支えるスプリングの後部内側
前ハブ(木製)と後ハブ(木製)の上部
写真2. 数字が刻印されている6ケ所。モデルは、 ベルテ氏所有の『ミショー&カンパニー』。   写真3. フォーククラウンの内側に刻印されて いる数字(1503)。
写真4. 『カンパニー・パリジェンヌ』製モデル。フォーククラウンの上部に刻印されている数字(製造番号)。モデルはステルバ氏(チェコ共和国)所蔵。写真もステルバ氏。   写真5. 直線形フレームの下部で、前フォークに最も近い部分に刻印されている数字(1503)。

 俗にいうラルマンタイプのモデルについて、現時点で欧米各地の博物館や個人コレクションに保存されている計8台をチェックすることができた。なお、最近になって、ある個人コレクターがこの当時のカタログを所蔵していることがわかった(写真6)。このカタログの裏には、ピエール・ミショーのアトリエが製造していたマシーンのサイズ一覧が載っている(写真7)。この2つの表を一緒にした結果は以下のとおりである。 

カタログのサイズ 番号 前輪直径(mm) 後輪直径(mm)
60      
70      
75 75 750 600
80 [80] 998  
85 85 835 740
90 90 895 800
95 95    
100      
  [90] & 75 750 600
  [90] & 75 750 610
  [90] & 75 750 600
 
 
 
写真6.

ミショー車のカタログ表面。1868年4~5月に作成された。ブリュネ氏(フランス)所蔵。

      
  写真7.

ミショー車のカタログ裏面。ブリュネ氏
(フランス)所蔵。

 このカタログには、表にも裏にも、日付や年号は入っていないが、仏カルバドス県立公文書館に保存されている『オリビエ・ド・サンデルバル』コレクションにより、日付をかなり正確に推定することができる。
ピエール・ミショーのアトリエは1867年(慶応3年)末から1868年(明治1年)の初めにかけて、商売が繁盛しアトリエが手狭になったため3回も変わっている。モンテーニュ大通り29番地から、ジャン・グージョン通り19番地に移り、その後ジャン・グージョン通りの27番地に落ち着いている。
 『オリビエ・ド・サンデルバル』コレクションの中には、ミショーがお客さんや下請けの工場等と交わした手紙や電報等380通程(1867年12月21日~1868年5月4日)が含まれている。その中に、ミショー車のフレームや前フォーク等の主要部品を製造していた『ルブラン&ルベック製作所』(工場はパリから北に50kmのクレイユにあったが、事務所はパリ北駅のすぐ近くにあった)からの納品書がある。それによれば、配達先がモンテーニュ大通り29番地からジャン・グージョン通り19番地に変わるのは、1868年4月21日である。同年5月19日付けでミショーはオリビエ兄弟と共に、『ミショー&カンパニー』を設立するが、その登記された住所はジャン・グージョン通り27番地であった。
 このカタログの住所はジャン・グージョン通り19番地となっているので、カタログが印刷されたのは4月中旬で、5月中旬までの約1ケ月間通用したといえる。これにより、ミショー車の時代では最初のカタログと思われる。
さて、このカタログの裏面には、前輪の直径(cm)で示される以下の8サイズが記されている。
60、70、75、80、85、90、95、100
 これにより、ラルマンタイプのモデルに刻印されている数字は製造番号でなく、前輪の直径と一致していることが確実となった。表にある最後の3台には75という前輪の直径を表す数字以外に、90という別の数字が刻印されているが、これについては、まだはっきりとわかっていない。恐らく今で言うフレームサイズであろうと推測される。

 直線形フレームのモデル製造会社としては、『ミショー&カンパニー』(1868年5月~1869年4月)(写真7)と、同社を継承した『カンパニー・パリジェンヌ』(1869年4月~1874年7月)(写真8)、『ミショー・ペール&カンパニー』の3社がある。

 『ミショー&カンパニー』製のモデルは、現在計20台が確認されている。同社製のマシーンに付けられているプレートの形として、長方形(写真9)とオーバル形(卵形、写真10)の2つがあることが最近になってわかったが、それを加えた表は以下のとおりである。

                    
写真7. 『ミショー&カンパニー』の価格表。仏カルバドス県立古文書館に保存されている、『オリビエ・ド・サンデルバル』コレクション。   写真8. 『カンパニー・パリジェンヌ』の宣伝ポスター試作品。仏カルバス県立古文書館に保存されている、『オリビエ・ド・サンデルバル』コレクション。
 
番号
プレートの形
 
番号
プレートの形
 
番号
プレートの形
 
  139 長方形   655 オーバル形(卵形)   1333 オーバル形(卵形)  
  276 長方形   812 オーバル形(卵形)   1387 オーバル形(卵形)  
  298 オーバル形(卵形)   825 オーバル形(卵形)   1451 オーバル形(卵形)  
  357 プレートなし   876 オーバル形(卵形)   1503 オーバル形(卵形)  
  395 オーバル形(卵形)   925 オーバル形(卵形)   1592 オーバル形(卵形)  
  476 オーバル形(卵形)   930 オーバル形(卵形)   1825 オーバル形(卵形)  
  581 オーバル形(卵形)   1308 オーバル形(卵形)        
  1894 オーバル形(卵形)   (『カンパニー・パリジェンヌ』製モデルで一番小さい番号)  
 
  写真9. 『ミショー&カンパニー』モデルにつけられた長方形 のプレート。ブリュネ氏(フランス)所蔵。   写真10. 『ミショー&カンパニー』モデルにつけられたオーバル形プレート。ステルバ氏(チェコ)所蔵。写真もステルバ氏撮影。  

 この表から想像できるのは、『ミショー&カンパニー』が製造した初期の直線形フレームには長方形のプレートが付けられていたが、その後はオーバル形になった、ということである。ただ、長方形のプレートが付いているモデルはまだ2台しか見つかっていな
いので、この仮定はまだまだ確固としたものではなかった。
 ところが、つい最近になって、この長方形のプレートが付いている俗にいうラルマンタイプの『ミショー&カンパニー』モデルが、ラ・ブルガッド自転車博物館(パリから西に50km)で見つかったのである。これにより、以下のような仮定が成り立つ可能性がでてきた。
『ミショー&カンパニー』は1868年5月に設立以来、当時製作していた俗にいうラルマンタイプのモデルに長方形のプレートを付けた。同年の夏頃に、ラルマンタイプから直線形フレームのモデルに代わる際に、前輪の直径を表す数字の代わりに製造番号が刻印されるようになった。ただ、その後も長方形のプレートを使用し、製造台数が296台になる前にオーバル形のプレートを付けるようになった。これにより、プレートの形によって製造時期がよりはっきりするようになる。
 ベルテ氏が所蔵するモデルでは計6ケ所に数字が刻印されているが、6ケ所共に全く同じ数字である。これは、当時はまだ製造技術がそれほど精巧でないために、1台1台をすり合わせて組み立てたからである。『ミショー&カンパニー』は製造番号を1から始めたと推測されるが、まだ139番以前のマシーンは見つかっていないので断言はできない。又、この製造番号と製造日を関係付けることができる資料も現時点では見つかっていない。

 『カンパニー・パリジェンヌ』製のモデルは現時点で以下の計20(日付がなく年号のみ記されているモデル)が確認されている。仏カルバドス県立公文書館に保存されている『オリビエ・ド・サンデルバル』コレクションの中に、『カンパニー・パリジェンヌ』の販売台帳と思われる文書のほんのごく一部、1869年5月11日から13日までの3日間、が残されている。これらの2つのリストを1つにまとめたのが以下である。

製造会社 製造番号 日付   製造会社 製造番号 日付
ミショー&カンパニー 1503 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2320 1869年5月12日
ミショー&カンパニー 1589 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 2564 1869年5月13日
ミショー&カンパニー 1592 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2565 1869年5月13日
ミショー&カンパニー [1606] 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2572 1869年5月13日
ミショー&カンパニー* 1825 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2592 1869年5月13日
カンパニー・パリジェンヌ** 1894 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2609 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 1974 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 2613 1869年5月13日
カンパニー・パリジェンヌ 1999 1869年5月11日   カンパニー・パリジェンヌ 2614 1869年5月13日
カンパニー・パリジェンヌ 2024 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 2616 1869年5月13日
カンパニー・パリジェンヌ 2020 1869年5月11日   カンパニー・パリジェンヌ 2620 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 2031 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 2648 1869年5月13日
カンパニー・パリジェンヌ 2032 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 2715 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 2044 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2800 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 2111 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2886 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 2122 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2891 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 2143 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 2892 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 2202 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 2924 1869年
カンパニー・パリジェンヌ 2218 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 3217  
カンパニー・パリジェンヌ 2220 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 3321  
カンパニー・パリジェンヌ 2236 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 3474  
カンパニー・パリジェンヌ 2256 1869年5月12日   カンパニー・パリジェンヌ 3562  
カンパニー・パリジェンヌ 2259 1869年5月13日   カンパニー・パリジェンヌ 3963 1870年
カンパニー・パリジェンヌ 2259 1869年   カンパニー・パリジェンヌ 4800 1871年
カンパニー・パリジェンヌ 2271 1869年5月12日        
* ミショー&カンパニー製モデルで一番大きい番号   ** カンパニー・パリジェンヌ製モデルで一番小さい番号

 『カンパニー・パリジェンヌ』は『ミショー&カンパニー』を継承したので、製造番号も引き継いだと考えるのが普通であろう。現時点では1825と1894の間のモデルは見つかっていない。
 この2つのリストの唯一の接点は、製造番号2259である。販売台帳によれば、同モデルは、1869年5月13日に、パリのコルビェール社(販売代理店と思われる)に納品されている。又、同じ製造番号を有するモデルは、2002年4月21日に、ノギリスのオークション会社であるボンハムス社で競売に付されていることまでは、わかっているが、現在誰が所有しているのかまではわかっていない。
 この3日分の文書の内容を整理すると以下のようである。

    日付
最大の製造番号 最小の製造番号 その差 販売台数
1869年5月11日
2020
1999
21
2
1869年5月12日
2320
1589
731
12
1869年5月13日
2648
2122
526
10

 5月11日と13日は台帳のページが欠けている可能性があるため、あてにできないので、信用できるのは12日の分だけである。12日には12台を出荷しているが、その製造番号の最大と最小の差は731もあり、販売(又は製造)時期と製造番号の相関性がどうなっているのか、現時点ではよくわからないのが実情である。
『ミショー&カンパニー』と『カンパニー・パリジェンヌ』の組み立て工場はパリ市内にあるため、ミショー車のフレームや前フォーク等の主要部 品の製造に必要な大型の鋳造&鍛造設備をスペース的にも、更に財政的にも持てないため、地方の製造会社に下請けに出していた。『カンパニー・パリジェンヌ』の宣伝ポスターに紹介されているのは以下の3つの都市又は地方である。

*
    クレイユ。『ルブラン&ルベック製作所』。前述のとおり、工場はパリから北に50kmのクレイユにあった。ただ、事務所はパリ北駅のすぐ近くにあった。
*
    マルセイユ。『カンパニー・パリジェンヌ』はフレームの製造を『地中海造船所』に委託した。『地中海造船所』の古文書は、仏国立古文書館ルーベ別館に、コード番号:1995068(旧コード番号は、137AQ)の元に保存されている。しかし、同造船所が確かにミショー車のフレームを製造したという記録は全く見つからなかった。その原因としては、ミショー車のフレームは同造船所のマルセイユ支社が製造したと言われているが、同支社に関する当時(1868~1869年)の文書が一切残されていないことがあげられる。
*
    ジュラ。ジュラは都市の名前でなく、フランス東部にある県名である。工場の名前や都市名等、手がかりにになるような情報は現時点で皆無である。

 『ミショー・ペール&カンパニー』。ピエール・ミショーは、オリビエ兄弟と共に設立した『ミショー&カンパニー』の株等全てを、1869年4月にオリビエ兄弟に譲渡したにもかかわらず、『ミショー&カンパニー』の名前を使用し続けたため、オリビエ兄弟に告訴された。これが原因で、1869年6月に、『ミショー・ペール&カンパニー』を設立した(ペールは仏語で父、という意味で、ピエール・ミショーを指す)。それにもかかわらず、ピエール・ミショーは裁判で負け、会社は1870年3月に倒産した。『ミショー・ペール&カンパニー』製で、製造番号が付いているモデルで、現在知られているのは以下の5台のみである。

プレートに刻された会社名 製造番号   プレートに刻された会社名 製造番号
『ミショー&カンパニー』* {85]   『ミショー・ペール&カンパニー』** 258
『ミショー&カンパニー』* 66または99   『ミショー・ペール&カンパニー』** 324
『ミショー・ペール&カンパニー』** [235]      
* 上記の理由(告訴)から、1869年5月頃に製造されたモデル
** やはり、上記の理由から、1869年6月以降に製造されたモデル

 以上のように情報はまだまだ不十分ではあるが、これらの製造番号からミショー車全体の製造台数を推定すると、以下のようになる。

ミショー車の製造会社名
推定製造台数

ピエール・ミショーの工場&『ミショー&カンパニー』(1868年夏頃以前) *

[1000]
『ミショー&カンパニー』 1860 ** 
『カンパニー・パリジェンヌ』 2940 **
『ミショー・ペール&カンパニー』 324
合計 6124
* 俗にいうラルマンタイプのモデル
** 『ミショー&カンパニー』は直線形フレームのモデルを製造し始めた際に、製造番号を1から付け始めたということと、『カンパニー・パリジェンヌ』は『ミショー&カンパニー』の製造番号をそのまま継承したということを前提にし、現在知られている、2つの数字(1825&1894)のちょうど中間で、会社名が変更になったということを仮定した場合

 より正確に知るためには、製造番号がはっきりしている、もっと多くのモデルを探し出すという作業以外に、製造の日付を裏付ける何らかの資料の発掘が不可欠であろう。
 普仏戦争直前(1868~1870年)のパリには、完成車メーカーと部品メーカーを含めて100社近くが存在していた。パリ以外のフランスでも同数程度のメーカーが存在していたことを考慮すると、イギリスのコベントリーよりも前の、最初の自転車産業の誕生といえる可能性もでてくる。いずれにしても間違いなく言えることは、ミショー車の製造はその当時の産業界の一翼を担っていたということである。その証拠として、ミショー車の主要部品を製造していた当時の大会社2社の名前をあげることができる:『ルブラン&ルベック製作所』&『地中海造船所』。

 

     参考文献
『オリビエ・ド・サンデルバル』コレクション。仏カルバドス県立公文書館保管。
『地中海造船所』文書(N°1995068.旧コード番号は、137AQ)。仏国立公文書館ルーベ別館所蔵。

                                           日本自転車普及協会 パリ駐在員