このディーエル型自転車の所有者は、ディーエルの息子であるジェームズ・ディーエルであったが、1846年に製作されたことの証明として、当時の手紙2通と領収書2枚を提示したが、それらには、はっきりと『2輪の自転車』とは明記されておらず、単に『乗り物』(Riding machine)と書かれてあったといわれている。1889(明治22)年2月20日付けの『ザ・スコティッシュ・サイクリスト』誌によれば、これは、ディーエルが当時(1846年)乗っていた3輪車の関連書類である可能性が強いという。 このディーエル車は、翌年(1889[明治22])年にロンドンで開催されたスタンレーショー(当時の自転車ショーとしては世界的にみても最大級であった)でも紹介された。現在グラスゴー交通博物館に展示されているマシーンは、この2つのサイクルショーに展示されたものであろうと思われるが、もし、1846年にディーエルが製作したものでないとすれば、それでは、誰が何時作ったのかに関する情報は当然であるがない。更に、グラスゴー博物館が所有している管理原簿には、いつ同館に入ってきたかの記載もなく、全くはっきりしていない(写真6)。 ディーエルとマクミランの接点も、この1888年のグラスゴー自転車ショーから生まれる。グラスゴー3輪車クラブのメンバーであったジェームズ・ジョンストン(写真7)は、展示されていたディーエル車を見て、ものすごく憤慨した。このタイプの自転車を発明したのはディーエルではなくて、自分の遠い親戚にあたるカークパトリック・マクミランであると確信していたからである。
これを境にして、ジョンストンは、自分の考えが正しいことを証明するために、精力的に調査を開始した。その方法は主に実際にマクミランを知っていた人々にインタビューすることであった。しかし、ジョンストンの質問の仕方はまるで誘導尋問に近かっ
た上に、インタビューに応じた人達はどちらかというとジョンストンに気にいられるような形で答えたという(『ザ・スコティッシュ・サイクリスト』誌、1892[明治25]年2月17日&3月23日付け)。 ジョンストンは、その努力の甲斐もあり、とうとう当時の資料を1点だけ見つけたが、それは、1842(天保13)年6月9日付けの『グラスゴー・アーギュス』紙に載っていたある交通事故に関する記事であった。
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