

創架は安永3年(1774年)10月17日のことで、江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうちの最後の橋であり、その後何回か架け替えが行われた。明治9年(1876年)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。 この最後の木橋は、明治18年(1885年)7月の大洪水で上流にあった千住大橋の橋桁が流されて吾妻橋脚と衝突し、一緒に流失してしまった。このために明治20年(1887年)12月9日に隅田川最初の鉄橋として再架橋された。この絵の吾妻橋は昭和6年(1931年)に現在の橋に架け替えられるまで使われた。
歌川国利(1847~1899)は三代豊国の門人で、師の死後は二代国貞の門に入る。慶応年間から明治30年頃にかけて活躍し、銀座の風景や鉄道馬車などの開化絵や名所絵、銅版地図などを残している。