高輪は南北に長い丘陵地で、江戸時代に諸藩の下屋敷が多く置かれたことから、明治時代以降も邸宅の立ち並ぶ地となった。この丘陵地の東側は海に面した斜面で、その下を海沿いに東海道が通っていた。 国周(1835~1900)は押絵師の長谷川派豊原周信に学んだ後、三代豊国に入門。役者絵師といわれるほど役者絵が多く、明治期の芝居絵、役者絵の中心的存在で、その特徴はこの「東京高輪風涼図」にも表れている。