昭和14年における自転車生産用原資材の割り当てがこれまでの30%にまで減少して、価格停止令が施行され、15年には価格統制、配給統制へと移行していきました。こうして国内で販売される製品はすべて製造者団体である日本自転車工業組合から配給所、卸商連合会、小売商連合会を通じて小売店に渡るという配給機構が作られました。 しかし、昭和15年に全日本ゴム車両協会が発行した事業現況通報(写真1)を見ますと、その割当量は決して十分な量ではないことがわかります。 「新品タイヤ・チューブの第1回配給が近日中に実施出来そうであるが、1本〜1本半という極めて少量である。また、新品を購入の際は中古品と交換であるが、中古品は当協会が入手できるようにしたい。」 と書かれています。
16年の配給伝票(写真2)に書かれている2台の自転車特級98.80円、A級93.80円はいずれも重荷用車の小売店販売価格です(表2)。
写真2 昭和16年の配給伝票
こうした状況は配給伝票に書かれた数値からもわかります。昭和17年の配給伝票(写真3)には修理用として使われたであろうサドル、ブレーキ、シートポスト、スタンドなどの部品名が書かれていますが、その入手は年を追って困難になってきました。月に1〜2回の配給ですが、1回の配給量は自転車1台に使われている部品の数から比べるとごく少量で、19年の配給伝票(写真4)によると「虫ゴム8本、ポンプホース4本、ポンプ皮15個、ゴムカバー2個、ペダルゴム15個、ブレーキゴム35個」の配給しかありません 。
このように統制も年を追って厳しさが増して、小売店からの数少なくなった申し込みの受付簿に対しても県係官が臨検を行っていたことが、昭和19年の千県自転車小売商業組合が作った献金依頼並びにタイヤ・チューブに関する通知書(写真5)を見ますとわかります。こうして国内の生産はほとんどなくなり、小売店は少数の部品しか手に入らなくなり、店としての営業は出来ない状態となりました。