資料から知る自転車の歴史 5

                 昭和天皇と2台の三輪車          谷田貝一男

資料
明治30年台後半 昭和天皇使用三輪車
明治20~40年台 三輪車3台
明治30年代 三輪車のカタログ各種
大正2~3年 昭和天皇の写真
大正期の荷物運搬用三輪車
大正期の卸商発行のカタログ各種

[明治期の三輪車]
昭和天皇にまつわる三輪車は2台あります。そのうちの1台は自転車文化センターが所蔵しています(図1)。
この三輪車は昭和天皇の母君である節子皇太子 妃(後の貞明皇后)から贈られたものです。残念な がら、この三輪車を使われている写真は残ってい ませんが、昭和天皇の学習院初等科時代に伝育に 当たられた弥富破摩雄氏(旧弘前高等学校教授)が 退任の際に下して賜わされたものですから、使用 された三輪車であることは間違いなく、昭和天皇 記念館に貸し出しを行ったこともあります。 昭和天皇は明治34年4月29日のお生まれで すが、誕生後70日目にして枢密院顧問官の川村 純義氏のもとに行かれ、そこで3年間育てられま した。その川村氏が亡くなられたため、その後は 皇孫仮御殿に移られ、新たな養育掛として足立た か氏が昭和天皇の伝育並びに母親としての役目に 当たられました。このように、昭和天皇は実母と会う機会が非常に少なかったということから、母親からの贈り物としての三輪車を愛用されたに違いないと思われます。                     
図1 昭和天皇が愛用された三輪車
この三輪車がいつ頃、誰の手によって造られたものであるのか、検証してみましょう。大きさは横の長さ100cm、ハンドルの高さ77cm、ハンドルの幅43cmですから、年齢的に3~4才ころに使われたのでないかと考えると、明治37年~38年ころになります。ハンドルのにぎりが木製で車輪の外枠に硬質ゴムが巻かれ、サドルに綿入りのカバーがつけられている以外は鉄製です。前輪と後輪の大きさが異なり、直径が前輪は48cm、後輪は39cmです。同じころに発行されたカタログ(図2)に掲載されている三輪車と比較すると前輪が後輪より大きいなど全体の形状はよく似ています。材質はカタログでは全部鉄製となっていますが、グリップの部分はその形から木製のように見えます。

図2  明治40年前後に 大阪の問屋が発 行した引き札

昭和天皇が使われた三輪車とよく似ている

明治20~30年代のヨーロッパで造られた三輪車には自転車と同じくペダルが前輪と後輪の間にあ り、チェーンによる後輪の左右同時駆動式もありま した(図3)。この三輪車は鉄製で横の長さ110cm、 ハンドルの高さ63cm、ハンドルの幅46cm、前輪の直径40cm、後輪の直径50cmの子ど も用です。これと昭和天皇が使用された三輪車を比 較すると、大きさはほぼ同じですが、使用された三 輪車はチェーンもなく、造りは単純で鍛冶職人によ る手作りとも考えられます。         
図3 明治20~30年代のヨーロッパで造られた三輪車
 価格はカタログによると次のようになっています。 同時期の自転車の平均価格150~250円とは比 較になりませんが、小学校教員の初任給が10円~15円(朝日新聞社・値段史年表より)を考えますと誰もが買える値段とはいいがたいものです。 
外国製 : 小形 6円  中形7円  大形8円
日本製 : 小形並 3円20銭  小形上 4円  中形4円  大形4円90銭
 では特別に注文して造らせたものであるのかという ことですが、この三輪車には菊の紋章がありません。 当時の自転車にはブランド名を表したマークがハンド ルの前についていますので、紋章を入れようとすれば 可能でした。また、カタログに掲載されている販売店 は関西を中心に東京や名古屋が含まれており、図4の三輪車が四国で使われていたらしいことなどから昭和
天皇が使用された三輪車と同様の三輪車が市民の間で 使われていたと考えることができます。        
以上のことから、昭和天皇が使用された三輪車は市 中で買い求められた後に、サドルに綿入りのカバーを つけたのではないかと推測することができます。 
図4 明治後半に四国で使われていたらしい三輪車 横の長さ90cm 前輪の直径40cm 後輪の直径50cm
[大正期の三輪車]
もう1台の三輪車は昭和天皇が学習院初等科の高学年時(明治45年~大正3年)に使われています。三輪車は残っていませんが、沼津の御用邸(現在の沼津御用邸記 念公園)で乗られているときの写真が何枚 か残っています。その中の1枚が図5で、 この写真や同時期の他の写真から、昭和天皇が使用された三輪車がどのような種類のものであったのか、検証してみましょう。
図5 沼津の御用邸で大正2~3年頃に撮影  左端が昭和天皇
 写真に写っている三輪車と類似の三輪車 が図6です。明治23年ころにフランスで造られたもので、横の長さ165cm、ハンドルの高さ115cm、ハンドルの幅55cm、 車輪は前後とも26インチで、後輪の2輪の間隔は76cmの大人用です。チェーンによる後輪同時駆動で、サドルが革、ペダルとタイヤが硬質ゴムの他は鉄製です。
明治40年代から大正初期に発行されたカタログの中から類似の大人用三輪車を探すと国産は見当たらず、国内向けの輸入カタログにも掲載が見つかりません。ところが、イギリスで発行された各社のカタログにはいずれも大人用三輪車が掲載されています(図7)。このカタログに掲載されている三輪車の車輪径は22・24・26インチの各種があり、「他に類を見ない最高級三輪車」と銘打ってあるためか、価格は18~21ポンドと、同じカタログに掲載されている自転車の価格6~12ポンドの2~3倍になっています。
図6 明治23年頃のフランス製大人用三輪車 図7 イギリス・オールディ社の大人用三輪車
 大人用三輪車は明治9年(1876年)にイギリスで商業的な生産が始まりました。当時は道路事情も悪く、自転車も現在のものとは異なる形式であったため、誰でも乗れるものではありませんでした。そうした中で、三輪車は誰でも簡単に乗ることができる上に、形式が豊富でレース用、ツーリング用、荷物運搬用と幅広い用途に適する可能性があるということで、明治16年(1883年)に開催されたイギリスのスターレーのショーでは自転車が233台に対して三輪車は289台も出品されるほどでした。その後、明治18年(1885年)に現代と同形式の自転車が登場すると三輪車は一気に生産量が減少してしまいました。しかし、明治14年(1881年)にかなりの家柄の娘が乗っていた三輪車を見てその存在を知ったビクトリア女王が2台購入し、これを機に当時の三輪車協会が「気品のある乗り物」と宣伝したことなどから、貴族や上流階級の一部の人たちに人気が残っていました。
 一方、日本でも福島の鈴木三元が明治9年 に三輪車(図8)を製作し、明治14年の第 2回内国勧業博覧会に出品しています。また、 民族学者宮部外骨が少年時代の明治14年に イギリスの三輪車を神戸の商社から購入して 乗り回しています。さらに東京横浜毎日新聞 明治14年2月1日号にはスターレー&サッ トン製メテオ(Meteor)三輪車の広告が載って います。このように明治初期から中期のころ は自転車が普及していないときで、大人用三 輪車に乗る状況がわずかながらありました。  
図8  鈴木三元が製作した三輪車 車体は鉄製で木製の車輪に鉄枠をはめている 2輪側が前 横の長さ135cm
 ところが、大正初期に国内での自転車造りがようやく軌道に乗り始め、保有台数が大正2年の418万台から4年後の6年には1064万台と急増してきたころになると、自転車の主たる利用目的はヨーロッパと異なり荷物運搬用になっていました。国内で販売された三輪車は自転車の代わりとして乗るのではなく、図 9のような前輪に荷台があり、ここに荷物を載せて運ぶためのものでした。1台の価格は150~200円で国産自転車の2~4倍、 輸入高級自転車とほぼ同じでした。
以上のことから昭和天皇が学習院初等科の高学年時に使用された三輪車は国内で造られたものではなく、輸入したものであると推測することができます。       
図9 大正期の荷物運搬用三輪車  サドルの前の冂の形の棒がハンドル
(参考文献)
ご愛用の子ども用三輪車 谷田貝一男 「昭和 第42号」 平成18年 昭和聖徳記念財団
昭和天皇記念館  平成17年 昭和聖徳記念財団
Alldays“Matchless”CYCLES AND MOTORS FOR 1907  明治40年 
Alldays & Onions Co.(イギリス)
横山商会営業案内 大正12年 横山商会 
商報 深田松之助 明治30年代後半
サイクル その歴史的評論 C.F.カウンター(桑田和子訳) 昭和55年
フェスティバルオブサイクル80実行委員会
明治自転車文化展 昭和59年 自転車文化センター
自転車の歴史探訪 明治15年前後の三輪車 日本自転車史研究会ホームページ
                                    (自転車文化センター 学芸員)