明治30年代から40年代にかけて、自転車や部品の国内製造が相次いで始まる一方、アメリカ、イギリスからの輸入が明治40年をピークに減少していきました。特に大正3年に勃発した第1次世界大戦の影響で、イギリスなどの交戦国からの輸入がほとんど途絶えたにも関わらず、国内生産の増大で、大正2年からの4年間で自転車保有台数は2倍の100万台を超えるまでになりました。これは国産車の価格が輸入車の3分の1から3分の2くらいという安さが普及に大きな貢献を果たす結果となりました。
しかし、高価格の輸入車はブランドとしての名声があるため、そのニセブランド自転車いわゆるコピー商品が多く出回っていました。当時も、登録商標や特許制度はあったものの、その情報伝達の範囲、スピードは現代とは比較にならないほど小さいものであったため、その意識も低く結果的にコピー商品がはびこることになりました。 |