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自転車の歴史
> 【明治時代における日本の自転車製造・販売の系譜】
日本における自転車の歴史を見ますと、陸船車と呼ばれた自転車の前身ともいえるものが世界に先駆けて江戸時代半ばに作られていました。しかし、当時の政治体制からこの高度の技術が生かさせることもなく、幕末を迎え、海外から自転車が持ち込まれるようになりました。
この自転車を見た日本人は、同じものを作り、またさらに改良を加えようと試みました。高度の技術を持っているとはいえ、何もないゼロの状態から1つの製品として世の中に送り出すまでは苦難の連続でもありました。世界の最新の自転車を輸入する一方で、それを参考にして日本人の体型にあわせようと改良を重ね、ようやく国産の自転車の生産体制が整ったのが明治という時代でした。 (谷田貝一男)
明治3年
(1870年)
竹内寅次郎、「自転車」と命名した三輪車の製造・販売の許可を東京府に出願・許可され、製造販売する
明治5年
(1872年)
鈴木三元、自転車の開発に着手する
明治9年
(1876年)
鈴木三元、1人乗り三輪車「大河」完成 後に2人乗り・4人乗りを順次開発する
鈴木三元製造の1人乗り三輪車「大河号」(明治9年)
自転車の開発に取り組んだ鈴木三元は、4年の歳月を費やして試行を繰り返した結果、 明治9年に「大河号」を完成させ、福島県令に販売許可を申請し、許可を得た。 その後も明治18年頃まで2人乗り・4人乗りの三輪車の開発に情熱を注いだ。
明治10年
(1877年)
この頃から中部、近畿地方を中心に、ミショー型やオーディナリー型の自転車が製造されていた可能性がある
明治10年頃製作された和製ミショー型自転車
日本に入ってきたミショー型を模して鍛冶職人が日本人の体型に合わせて作ったものであろう。 4枚の鉄板を重ね合わせたフレーム、鉄輪を巻いた木製車輪、木製リムとスポークで構成されている。
明治12年
(1879年)
梶野仁之助、日本で最初のメーカーである梶野自転車製造所を横浜で開業する
梶野自転車製造所店頭(明治41年頃)
明治25年頃建てられたもので、中央の2階建てが店舗と居宅、右側平屋が作業場である。この写真の場所は現在の横浜駅東口にある横浜中央郵便局付近である。
梶野製造所は明治40年頃が最盛期で40名の職工が働き、「金日本号」「銀日本号」のブランド名で販売していたが、大正5年閉鎖された。
明治12年
(1879年)
竹内寅次郎考案の四輪車で東京高崎間を往復する
東京高崎間を往復した竹内寅次郎考案の四輪車
竹内寅次郎が自転車の名付け親である。明治3年、商品名「自転車」の製造販売の許可申請書を東京府に提出し許可を得ている。その後自転車による運送事業を計画、四輪車を製作して実施テストのため明治12年東京高崎間を往復した。しかし世はすでに乗合馬車の時代となり、期待した成果が得られないまま、計画は断念せざるを得なかった。
明治13年
(1880年)
鈴木三元、横浜に売捌所を設ける
明治14年
(1881年)
宮田栄助、京橋木挽町に宮田製銃工場(現在の宮田工業の前身)を開く(自家用自転車の修理を頼まれる)
明治14年
(1881年)
第2回内国勧業博覧会に鈴木三元、斎藤長太郎、坂口清之進が自転車を出品する
明治14年
(1881年)
鈴木三元、4人乗り三輪車を作り、東京府知事宛に「新発明製造発売願」を提出し、許可される
鈴木三元が明治14年、東京府知事に提出した製造販売願
左が廻儀録の中の発売目録、右が添付されていた三輪車の写真
東京に住居を構え、横浜に販売店を設け、売り込みを図るがなかなか成功の喜びを味わえなかった。
明治19年
(1886年)
三田土ゴムが創立される
明治21年
(1888年)
向山嘉代三郎、帝国自転車製造所を開業する
帝国自転車製造所の広告
(朝野新聞 明治21年1月7日付)
明治21年1月、東京浅草に設立されたといわれている自転車メーカーであるが、どのような自転車を製造販売していたのか、またいつまで経営が続いていたのか等は不明である。
明治23年
(1890年)
宮田栄助、製銃工場を本所菊川町に移す
明治40年頃の宮田製作所菊川工場
本所菊川町の工場付近は、この頃は未だ草原であった。この工場から国産第1号のセーフティ型自転車(現代の自転車の原型)が誕生したが、昭和5年蒲田に工場が移転し閉鎖された。
この工場は動力源として7馬力のボイラーを備え付け、新しい旋盤や機械を取り揃えた最新鋭工場であった。
明治23年
(1890年)
第3回内国勧業博覧会に梶野仁之助と向山嘉代三郎が製造した自転車が出品される
明治25年
(1892年)
梶野自転車製造所が東京中央電信局に木製車5台、鉄製硬質タイヤ車5台納入する
梶野自転車製造所の広告
(毎日新聞、明治22年2月1日付)
創業が明治12年の、日本で最初の自転車量産メーカーである。広告のイラストは全鉄製のオーディナリー型自転車と呼ばれるものであるが、これと同じものを作っていたかどうかは疑いの点もある。
明治25年
(1892年)
東京の照井商店が開業し、アメリカ製ファースト号やワシントン号の特約店となる
明治26年
(1893年)
宮田製銃所、我が国最初の空気入りタイヤ付自転車(現在の自転車の原形)を製造・販売する
我が国最初のセーフティ型(現在の自転車と同じ型)自転車
(明治23年)
宮田製銃所を創設した宮田栄助の次男政治郎が、明治23年に試作完成した自転車。
フレームに用いるパイプは銃身と同じ方法で鋼の丸棒をくり抜いて作った。部品もタイヤを除けばサドル・スポーク・チェーンにいたるまですべて自家製であった。
明治27年
(1894年)
東京の飯塚商店が自転車の輸入販売を始める
明治27年
(1894年)
名古屋の中村商会が自転車の輸入販売を始める
明治27年
(1894年)
石川賢治、貿易商石川商会(現在の丸石自転車の前身)を設立する
石川商会横浜本店 (明治33〜34年)
(明治35年石川商会発行のカタログより)
明治27年に設立された現在の丸石自転車の前身である石川商会は、当初絹織物、段通などを輸出入する貿易業を営んでいた。
自転車を初めて輸入したのはこの横浜本店を新築した明治33年のことで、米国製のピアス号などであった。
明治28年
(1895年)
第4回内国勧業博覧会に梶野仁之助、宮田栄助らの自転車が出品され、梶野は有功三等賞を受賞する
明治28年
(1895年)
仁藤商店がアメリカのクリーブランド号の輸入販売を始める
仁藤商会の広告(明治38年「清輪」第1号より)
卸業者は明治30年代から40年代にかけて活況を見せていたが、大正時代に入り、第一次世界大戦後の不況や関東大震災によって姿を消していったところも多かったが、仁藤商店も例外ではなかった。
明治28年
(1895年)
東京の伊勢善がアメリカのクレセント号の輸入販売を始める
明治29年
(1896年)
東京の岡本商店が雑貨の輸入販売と貸自転車業を始める
明治20年代末
名古屋の杉田甚助と武田駒吉がオーディナリー型自転車を製作し、郵便局に納入する他、一般にも販売する
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